映像と身体表現の相乗効果で生まれるもの | 映像ディレクター・池田一真 × コレオグラファー ・Seishiro対談 (前編)

#Interview #P.I.C.S.management #Creator

P.I.C.S.で手掛けるプロジェクトや働くメンバーのバックグラウンドを掘り下げるP.I.C.S. CASE STUDY。
今回はP.I.C.S. managementに所属する映像ディレクター・池田一真と、コレオグラファー・Seishiroのインタビューを対談形式にて掲載。前編では、2人の出会いから過去に共同で手掛けた代表的なコラボレーションワークの振り返り、それぞれのクリエイティブ観について紐解きます。

池田一真:映像ディレクター
アイデアやユーモアに溢れた映像表現を得意とし、手法にとらわれない柔軟なディレクションで、TVCMから企業ブランディング映像、MV、アニメーションコンテンツやアトラクション用の空間映像まで、多岐に渡る媒体やジャンルを手がける。
https://www.pics.tokyo/member/kazuma-ikeda/

Seishiro:コレオグラファー / ダンサー
日本最大級の振付作品のコンテストでは歴代最年少で優勝および過去最多の5つの賞を受賞。
一秒一秒にかけるこだわり、音との巧妙さ、またその構成力に定評があり、人間の裏の一面を垣間見るような独特の世界観は国内外で高い評価を受けている。
ダンサーとしても振付家としてもその人気は高く、数多くの舞台作品、映像作品を手がけている。
https://www.pics.tokyo/member/seishiro/

「セッションすること」が大事だと思っている

ーーまずはお二人の出会いをお聞かせいただければと思います。初めてご一緒した機会でいうと乃木坂46さんの「シンクロニシティ」MVでした。2018年ですね。

池田:Seishiroさんが大きなマスクをしていて、「ちょうど親知らずを抜いたタイミングで」と弁解していて。まだ距離感があって、心のサングラスをかけていました(笑)。

Seishiro:そうですね(笑)。私すごい真面目だから、まずは監督さんに色々聞きたいんだけど、初対面で踏み込むのもどうかしら、みたいな。初めましてだし、ちょっと探ってる感じの打ち合わせでした。事前に(池田のことを)調べていて、すごくいろんな映像を作っていらっしゃる人だなと思っていて、企画書もあまり他で見たことのない内容で。

池田:うん。結構明確に「こうしたい」みたいな、コレオグラファーの領域にちょっと入ってるような企画の書き方をしていて。

Seishiro:そうそうそう。「最初はこのメンバーとこのメンバーがこういう気持ちで」とストーリーを説明していて。

池田:ストーリーのプロットみたいなものをバーっと説明していて、ふとSeishiroさんを見たら「あ、ドン引きしてるな」という顔で(笑)。「ちょっと最初からいいですか?」みたいになって。

Seishiro:「どうにかこの人の脳の世界を表現しなきゃいけないわ」ってなって、すんごい数の質問をした。今までそういうアプローチをする監督は他にはいなかったです。私もとても勉強になって。「シンクロニシティ」はやっぱりあの企画がなかったら、あのようなコレオはできてなかったな。

池田:打ち合わせ終わった後にね、「一真さんって大変!」っていうお言葉をもらいました。

Seishiro:大変大変。でもきっと、私の心の内も受け止めてくれるだろう、とも思い。制作期間は深夜も問わずいっぱいお電話しました。はい。

池田:セッションすることが大事だと思ってるので。結局どういう風にどう表現するか、みたいなことまでは自分で決められるんだけど、具体的にコレオとして何をしたらどう伝わるか、それを踊りで表現するとなるとどうしたらいいか、はもう入っていけない領域で。なのでいっぱいアイデアをもらって。

Seishiro:そうそう。この作り方がすごく心地よかった。

ーーSeishiroさんはキャリアのスタートは映像作品ではなく舞台からですよね。映像媒体だからこそこういう創作が可能になった、幅が広がった、などの発見はありましたか?

Seishiro:まさに映像制作で魅力なポイントだなって思っていることがあって。舞台ってやっぱりヒキなんです。ヒキでどんどん観客を巻き込んでいくっていう。だけど映像作品になると今まで見せられてこなかった、すごく繊細な部分…顔の表情の違いだったり、身振り手振りの大きさなどで、物語をより描きやすくなった。だからすごく微細な表現がしやすいですね。

ーーなるほど。池田さんは企画や演出を考える際に「ここにダンスが入るとより映像的に魅力を出すことができる」など、ダンスを映像に取り入れることによる相乗効果などは感じますか?

池田:ダンスを1つの表現として考えた時に、企画にもっと寄り添えるっていうか、それをベースにストーリーを作ったりすることがしやすい。例えば何かを説明しなきゃいけないシーンがあったとして、具体で説明しなくても伝えることができるんじゃないか…翼を CG で作らなくても鳥になるような表現ができるんじゃないか、とか。そういう表現を作っていける感じは楽しいなと思います。

Seishiro:映像は、ずっと定点で画を見せるのではなく、例えばカメラのアングルを切り替えるとか、色々なギミックがありますよね。同じくダンスでもギミックをつけられるというか、やっぱりちょっと似てる。さっきも言った通りダンスや舞台の場合、近くで見なきゃわからない微細な表現みたいなのは、それを逆に集団に置き換えることで、その群舞で悲哀を表現したりします。映像の世界も舞台の世界も、強弱がないとつまらないから。

池田:飽きられたくない、みたいなのはすごい考えてる。どうやったら飽きないで見てくれるかなーみたいな。

作品を作る意味として、「言葉では表せないものをシェアしたい」という気持ちがすごくある

ーー次に、お二人の自主制作についてお話を伺いたいと思います。SeishiroさんにダンススタジオであるEn Dance Studioさんのサポートのもとでオリジナルムービーの制作機会があり。その際にSeishiroさんから池田さんへ依頼し、「FATE – 祝冥 –」や「畏 – OSORE –」の制作が実現したという経緯でしたが、まずどうして池田さんにお声がけしたのでしょうか?

Seishiro:一真さんって俯瞰をするからこそ、一緒に変なゾーンに入ってくれるというか。あとは、話すことによって私の新しい面も見えてくるんですよね。立派な作品を仕上げてらっしゃるじゃない?その中でも、一真さんと私はそのコアな部分の結びつきが密接してる部分を感じる瞬間があって。一真さんだったら、この気持ち、不甲斐なさ、ネガティブな感情の部分、あとは見てくれてる人に向けたアプローチの仕方で「よくこういうのあるから、やっぱこういうのはやりたくない」っていう、そういった部分のすり合わせもしつつ、結果ちょっと尖った作品みたいな感じになってしまうんですけど。でもすごく心地がいいんですよね、一緒にやっていくと。

池田:制作が立ち上がった際、最初に居酒屋とかで飲むじゃないですか。その時の会話は本当にすごくシンプルで。最近、何がかっこいいとか何がダサいとか、そういう取り留めのない会話の中で、気持ち悪いとか怖いとかちょっとグロテスクとか、少し意地悪とか、好きなポイントとかが共通で出てきたり。

Seishiro:今まで見てきたものを互いにシェアするのって、すごい大事な作業で。「あ、こういうのを見て一真さんが出来上がっていったんだな」とか、逆も然りなんですけど、そういうセッションができる飲み会がそれまでたくさんあって。一緒にやると楽しいなって感覚になっていきました。

池田:何をしたらアガるのか、っていうのを探す作業みたいな感じだよね。

ーー池田さんはそれまでクライアントワークが多く、いわゆる自主制作作品はなかったですよね。

池田:やんないね、求められないとね(笑)。期待されないと…。

Seishiro:いや、それもわかるなー。求められた方がラクだったりしますよね。

池田:Seishiroさんと作った「FATE – 祝冥 –」や「畏 – OSORE –」は、実はお互いの作り方は全然違っていて。すごく思うのが、Seishiroさんって積み上げ型タイプなんですよね。俺は骨とか設計図を作って肉付けするタイプだから、実は制作のスタイルが全然違う。むしろ実験的なアプローチ、作り方、セッションをさらに実験化していくみたいな感じなので、ガチッと固めていかないまま積み上げていくみたいな作り方をしてる感覚なんですよ。

Seishiro:「畏 – OSORE –」は特にそんな感じでした。あれは本当に分からなかった。「きっとこうなる」っていうのを自分の中で決めてやっていって。

池田:で、それに対して構成をしていく上でプロットを書くのも、結構後半の方でやったりとか。ロケ地を見てアイデアを出していったりとか、そういうやり方だったかな。普段だと、最初に全部こうしたいって決めておいて、あとは詰めていくみたいなやり方がミュージックビデオだと多いんだけど。Seishiroさんは誘ってくれた時点でやりたいものはあるんだけど、最初はすごく曖昧で、そんなに具体がない。それで、モヤモヤしたものを紐解くみたいに話していって形作るっていう、そういう普段とは違うセッション。まさにセッションだね。即興に近い。

Seishiro:「畏 – OSORE –」はそんな感じでしたね。「FATE – 祝冥 –」は、実は割と骨組みがしっかりしてたかもしれない。

ーー「FATE – 祝冥 –」は曲やロケ地を早い段階から決めていたからというのもあるかもしれないですね。「畏 – OSORE –」は曲もロケ地も全部を随時で、という感じでした。

Seishiro:そうだ、「畏 – OSORE –」は音が決まってなかったんだ。同じフレーズで何パターンも振りを作りましたよね(笑)。あれもすごい作り方でしたね。

池田:1/3ぐらいは撮影が終わってから構成が始まった、みたいなことだったかもしれない。現場で踊ってた部分の音の使いと違うふうに編集してたりしているし。

Seishiro:素材をいっぱい撮りましたね。楽しかった〜。

ーー内容についてもお伺いします。テーマである「得体の知れないものに対しての思い、恐怖」とは、どういう経緯で辿り着いたんでしょうか?

池田:元々はSeishiroさんが最初に考えた話を聞いたときに、和でいきたいって京都の写真とか見せてくれて。

Seishiro:…なんだったっけ。忘れちゃった(笑)。

池田:そうよね、だいぶ前のことだもんね。怪談をやりたい、だったのかな。

Seishiro:なんか、ざっくりしてたなー。ちょっとホラーっぽいテイストな部分を久々に作り上げていきたいっていうのを感じつつ。私、結構あれも好きだったな。以前見せてもらった昔の日本映画で、病人の女の人が上から歩いてて、振り付けかのような動きで女の人に嫌がらせするやつ。あの動画に結構引きずられたかも。

池田:あれ超いいよね。タイトル忘れちゃったんだけど。

Seishiro:白黒時代の作品って、本当に知識と知恵、現代ではコンプライアンス規制にかかってしまいそうな生々しい表現の仕方がすごく魅力的に感じていて。どれだけ体を紡いでその得体の知れない世界を見せていったらいいのかしらっていう、そこから着想を得ていった気がする。ダンス動画って、セリフがないからこそ見ている視点の様々な受け取り方があるから、あの時に私が感じた、あの白黒映画の不気味さが私に考えさせてくれる余白があったからこそ余計に不気味に見えて、そういったものを作りたくなったみたいな感じでした。

池田:あの映画全部見たんだけど、気持ち悪いシーンって、あのシーンだけなんだよ。他は結構普通のお芝居をしてて。

Seishiro:へぇー。って、こういう感じで動画を送り合ったりするよね(笑)。やばいのあった!って。「愛のコリーダ」も結構影響を受けましたね。

池田:で、そういう話をもらって1発目の企画をまとめた時に、前からやりたいと思ってた「得体の知れないものに対する怖さ」みたいな、自分の知識にないものを見た時に感じてしまう恐怖みたいなのを描けるといいなっていうのがあって。それって究極の興味の1つだと思ってて。すごいネガティブかもしれないけど…そういう風にどんどん沈んでいくようなストーリーにすると面白いんじゃないかなーっていうのが、一番初期の段階のプロット。雪女みたいな話だと思うんだけど、ああいうお化けや幽霊の、術にハマってだんだん心奪われてって、みたいな。その映像をみてる人も同じことを感じるように、女の妖みたいなのがいて、それを見せていくっていう内容だったんだけど。でもある日突然Seishiroさんから「男女にしますね」って聞いて。「そうなの?!」となり(笑)。

Seishiro:今まで自分の作品が女性のものが多かったんで、どちらかというと男性を主役にしたいなと。そこで、KELOさん(註:ダンサー・KELO氏)に出ていただいて。

池田:あれはKELOさんじゃないとできなかったし、元々考えていた第三者目線で作ることもできるかなってなった。じゃあ場所はどこがいい?ってなった時に、竹林でやりたいっていうのはなんとなくSeishiroさんの中にあって。

Seishiro:あとは古民家でやりたくて。最初にバーって画像を送ったのは、障子とかに影が写ってるとか、こういう画を作りたいっていうところから入っていったんですよね。

池田:夏の湿気と暑さがあって、古民家のおばあちゃんちって昼間電気ついてなくて。外明るくて中は暗いみたいな。ああいう感じ。

Seishiro:撮影的には大変なコンディションだったけど、映像としてはベストコンディションでしたね。みなさん汗のかき方がすごい良かったんですよね。

池田:人じゃないものを撮るつもりだったけど、めっちゃ結局は人だったよね。汗とか化粧の気だるい感じとか。

Seishiro:知恵のある大人たちが、知恵を出し合って楽しんで撮ってくださって。

池田:ニヤニヤしながらね(笑)。Seishiroさん結構ニヤニヤしてた。

Seishiro:上池さん(註:カメラマン上池惟孝氏)もすごいニヤニヤして、謎アングルいっぱい探ってたもんね。それができたのがすごく嬉しかったですね。たくさんのお仕事をしていらっしゃる皆さんがそうやってニコニコニヤニヤしながら撮れるっていうのは。あの時にしかわからない、あの空間をみなさんで感じ取れたのはすごい良かったなって。

池田:そうね、あれはスタッフも含めて結構セッション感が強かった。撮影もアングルを事前に決めてたわけじゃなくて、ロケハンで上池さんが「あの引き戸に並行してレールで撮りたい」とか。

Seishiro:上池さんもすごくアイデア出してくださってね。障子の前でみんなでうね〜って動くのとかもロケハンで決まったしね。

ーーダンスフィルムというだけに収まらない、ジャンル分けや枠組みも超えた作品だと感じました。この映像を世に出すことで何を伝えたかったのか、お二人のこの試みの意味や意義などをお伺いできますか?

池田:社会のためとか思ってないよ(笑)。

Seishiro:伝えたかったこと…「守んじゃねえぞ」って。この前の自主公演の舞台「至ノ塔」もそうなんですけど、私何か反発したくなっちゃうんですよね。もちろん、何かを出す時って見てくれる人のためっていうものもあるし、何かを伝えなきゃいけないなっていうところもすごくあるし、それはお金をいただくとか色々あるんだけれども。でもやっぱり私の創作欲は「私が何がしたいか」だから、そこの部分を常に意識をしているので、私のために作れてよかったなって。それをみなさんと一緒に分かり合えて。

池田:あの作品単体にすごい崇高なテーマとか、これをどうしても伝えたいみたいなメッセージってあんまないよね。どっちかって言うと、子供の時に見た怖い夢とか、その時に感じたイヤ〜な気持ちみたいなのって、映像じゃないと表現できないなと思って。そういう、ちょっと「トラウマをシェアする」みたいな感じはあったかもしれない。結局はやっぱり自分が見たいものを作るみたいなことなんですけど。

Seishiro:でも、それすごくいいかも。見てきたもの、言葉では表せないものをシェアしたいっていう気持ちがすごくある。

池田:うん。こういうのが怖いと思ってるとか、綺麗だと思ってるとか、言葉にはできないじゃん。言葉にもするんだけど多分その捉え方って全部違うから、それよりも視覚というか、映像でそれを表現してみたいっていうのはあるのかもね。まあ一番最初のきっかけは、「知らないことに畏れを抱くのは何なんだろう」っていうのは最初にあったかな。

ーー自主制作と商業作品とで何かスタンスやスタイルに違いはあるのでしょうか。このバランス感や向き合い方で意識してることはありますか?

Seishiro:商業ベースになってくると、色々問題になるのは時間。出演者たちの力量とか、どんなにいいものを作りたくても逃れられないスケジュール感が出てくる中で、見てくれる一般の方々の人の目に止まるものとか、みんなが揃って見える動き、覚えやすい振り付けとか。そういったところをすごく考えながら作ってる気がするけど、結局自分の名前が載るものなのでそこのプライドはやっぱり大事にしたい部分ではあるから…。

池田:うーん、目的が違うんじゃないかな。自分が何を求められているかとか、求めてきてくれた人やそれが世に出た時に見てくれる人たちのことを考えて作ってるから。何のために作るのかっていうのが明確にある方がやりやすいタイプかもしれない。山に篭って誰も見ない作品とか陶器とか作れないっす(笑)。褒められたい(笑)。

Seishiro:褒められたいのはあるかもね(笑)。難しい質問だけど…その子たちが踊れなかったら、輝けなかったら私のせいでもあるっていうのはちゃんと考えてるかもしれない。頂いたものだから、返さないとって。私の自己満だけではいかないようになった、大人になるにつれて。
コレオは相手がいることなので、その人のパーソナリティーだったりスキル以前のものに対して向き合うことになる場合もある。1番頼られる存在というか、いっときその子の先生になるから。その時にどう導いてあげればいいのか、とか色々な感情が乗っかってくるのでそこは気をつけてます。あとは見栄えね。ダンサーがやったら成立するけど、その子たちがやったら成立しないってことあるじゃないですか。そういうことを瞬時に見抜ける力が必要で。どうしても時間がないから…。「時間くれよ!」って思う。

池田:俺は制約がある方が結構いいかもなー。制約とか条件があっても、その制限があるからこそ出来ることがあると思う。

Seishiro:だけど、踊りだと目に見えてわかるじゃないですか。練習時間とかね。バラバラで画として成り立たないみたいなのはたくさん経験してきたから。

池田:そういう部分をSeishiroさんが悩むんだろなーって思いつつ、そんなに企画のダウングレードはしないしね。なんとかしてくれるだろうなーと思って(笑)。

Seishiro:自分も「時間がなかったから、これになっちゃいました」っていう妥協はしたくないから、できる最大の知恵を絞って作る。

池田:でも、現場でどんどん判断していって、これが撮れなかったなっていうシーンとかは残酷にバシバシカットしていって「オッケーでーす!」って言ってる(笑)。頭の中はフル回転で、どうすれば成立するのか考えながら。

Seishiro:一緒にお仕事してて、たまに出てくる瞬間なんですけど、たぶん一真さんの中でテイクを重ねてある程度のラインにいくと、もうこれ以上撮れないみたいな時があって。でも逆に絶対に曲げないシーンあるじゃないですか?あの違いって何なんだろうなって。

池田:それが撮れないと成立しないからっていう時なんじゃないかな。例えばニコッと笑ってる欲しい笑顔があった時に、その顔が「違うな」と思ったら笑わせるのをやめるくらいのことなら、その場ですぐ変えられるんだけど。曲げられないのはさっきの話でいう骨組とかに当たるのかもしれない。

後編に続く。

文:P.I.C.S./撮影:加藤雄太